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続・散文「八月」

 すっかり綺麗になった私はタバコ屋へ向かった。1.900年に開発された、開発という言葉が少し変ではある、古い家並みが左右に並ぶ住宅街を抜ける。日差しが強いから、北側の影の方を歩く。所々、影に隙間がで

きる。金色の日差しの部分は足早になる。黒い影と金色のように見える日差しの部分のコントラストがとても綺麗である。
 数分も掛からない。とても古い市民公園へ入る。芝生の上で語らう若者たち。ベンチで日光浴の人たち。老人。小さな町、フランス全土が夏休み。人の数は大変に少ない纖瘦店
 木陰を探しながらゆっくりと歩く。市民公園、斜めに横切ると十分も掛からない。出口の小道に出る。小さな町の大聖堂のファッサードが正面に見えてくる。なんとはなしに時々入る。サングラスを外して、ゆっく

りと大聖堂の内部を細かく見てみる。いつも、ほとんど人はいない。私は無宗教、無政治である。でも、この大聖堂の内部という空間をこよなく愛している。信仰、祈り、それぞれの中にあればいいと思う。私がジャ

ズを信じているように。そして、祈りの空間の静寂はとてもいいと思うのだ。
 フランスは、どこの町、村でも必ず中心に教会がある。こうして、膨大な時間を流れてきた人々を統括してきた。そういう意味で、人々、私も含めて中点は必要だと思う。そういう風景が好きである。仮に、私のそ

れがピアノ、ジャズであっても生の遠近法とすれば、同じ構図になる。だから、私はジャズがすべてではないことを認識している。ミクロな世界の信仰、おのおのの中で・・・。
 私の住む小さな町。ピサロのほとんどの絵が制作された町である。「歴史的な町」の認定を受けている。大聖堂の左側の小道。本当に短い纖瘦店。カフェ、レストラン、ワインバー、ベトナム系フランス人のガラス細工の

お店。この小道を抜けると丘の頂点である斜めに傾いだ広場にでる。タバコ屋はその対角線の向こう側である。

 風呂上がりの綺麗な私はタバコ屋からの帰路というほどでもない行程を歩きながら、正直に書く。諸々の逡巡。長男であること、老いた両親を被災地に放置していること、母国へのノスタルジーが皆無であること・

・・。私が自由を求めてここに来たこと。そういった諸々の逡巡が、まったく頭の中から消えていた。

 今だ、二十年後、ベンチに座っていた老人は・・・、よく見ると、私だったのではないかと一瞬思いつつ、同時に、私はキリコの絵の中を歩いて来たとも思った。

 そして考える。脳と体のバランスのことを。そして考える、それを今は考えることができるということを纖瘦店。できなくなった時、たぶん、私は、それでもピアノの前にいるような予感がする。怖くて悲しい風景にも見

える。
by morethanfantasy | 2016-08-04 11:18